第56回 「公益性」の壁

連載第56回
「公益性」の壁──部落解放センター敷地ただ貸し事件判決について

『ねっとわーく京都』2009年2月号掲載

寺園 敦史(同和行政ウォッチャー)

 京都市は、京都府部落解放センター(上京区)、みかげ会館(左京区)の敷地として市有地を20年以上にわたって無償で貸し付けてきた。両建物とも書類上財団法人が所有しているが、実質的には前者が部落解放同盟、後者が京都人権連(旧全解連)の事務所として使われている。同和奨学金を市が肩代わり返済する自立促進援助金制度が、個人を対象とした京都市最後の同和事業としたら、事務所用地ただ貸しは、運動団体を対象とした最後の特別対策である。

 無償貸し付けは違法だとして、市民ウォッチャー・京都が当時の桝本頼兼・京都市長らに、各建物を所有する両財団法人に対して合計約3900万円を請求するよう求めた住民訴訟の判決が、2008年12月9日、京都地裁であった。瀧華聡之裁判長は、原告市民ウォッチャーの主張をすべて退けた。

 わたし自身、もう10年以上にわたって様々な住民訴訟を経験してきている。市民感覚から見てとうてい容認できない事実が明白でも、裁判所の法的判断は独特で、しばしば市民感覚とはまったく次元を異にする基準をもって行政の不当性を追認するというケースを何度か目の当たりにしてきた。甘く見ていたわけではないが、それでも今回の裁判だけは勝訴は固いなと思っていたので、落胆させられる結果となった。

 解放センター、みかげ会館の敷地を市がただ貸ししたことに違法性がないと、裁判所が判断した理由を一言でいえば、「賃料を免除する公益性が失われていたとまでは言い難い」というものだ。首長には広範な裁量権が認められており、市長が公益性があると判断しても違法とはいえない面がこの両建物にはあるということである。

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 事実関係を簡単に振り返っておこう(詳しくは本誌2006年7月号参照)。1966年の文化厚生会館事件(部落問題研究所が所有し、解放同盟京都府連=いわゆる三木府連などが入居していた同会館を、解放同盟京都府連=いわゆる朝田府連メンバーが襲撃し、部落研はじめ、三木府連らを暴力的に追い出し占有した)の後始末として、部落研の事務所用地を府が、解放同盟(朝田府連後身)と全解連(三木府連後身)の事務所用地を市が、それぞれ斡旋することになった。それにもとづき、部落解放センター(解放同盟事務所、敷地面積1174平米)は1981年、みかげ会館(全解連事務所、同約633平米)は1985年に開所、用地はいずれも市有地で、当初から無料で貸していた。一方の部落研は1982年に新事務所を府有地を借りて移転したが、こちらははじめからいっさい減免されることなく有償なのである(年間賃料約160万円)。

 事務所用地ただ貸しの事実は、2006年5月、わたしの取材結果をもとに毎日放送が大きく取り上げ、その後も新聞各紙が報道したことで表面化した。市会でも自民、共産両党の議員が市の姿勢を追及した。この時点で、市、市会、そして運動団体(形式上は各建物を所有する各財団法人)三者とも、ただ貸しの現状は不適切であることを認識している。市は両財団法人と協議に入り、同年9月から有償化とする契約を結んだ。年間使用料は解放センターは約630万円、みかげ会館は約283万円となっている。

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 一民間団体の事務所用地として、市有地をただで与えることのどこに公益性があるのか。判決では、両運動団体とも部落問題の解決のために活動する団体で、そのことに公益性があると判断している。だが、公益性ゼロとまではいわないが、たとえばこの10年だけを取ってみて、「同和」だからといって市民の財産をただで貸してやって援助しなければならない差別の実態が存在しているというのだろうか。また、両団体ともただ貸しに値するようなどんな活動を行ってきたのだろうか。公益性という点では、まだ自立促進援助金の方が相対的に高いと思うが、その制度すら同和特別法が期限切れした2002年3月末以降違法だと裁判所で判断されている。

 わたしにいわせれば、とくに解放同盟はむしろ部落問題の解決に水を差すようなことをくり返してきたのが実際のところだったと思う。

 ただ、いくら運動団体の実態はああだこうだと言っても、裁判所がいう「公益性」の基準は大きな壁となる。控訴審では新たな戦術を練る必要がある。

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 なお、みかげ会館は2007年末で閉館されている。所有していた財団法人は解散し、建物を市に寄付した。入居していた京都人権連は今は別の場所に事務所を借り活動を続けている。閉館の理由は使用料、固定資産税の支払いに窮してのことだという。この事実をさして、われわれの住民訴訟が民主団体に損害を与えているとの批判を仄聞することがある。だが、部落問題の解決という点で見れば閉館はむしろ祝うべきことではないか。課題が小さくなれば運動も縮小するのは当然のことであり、悲しむべきことではない。いつまでも行政のカネとモノで維持された同特法体制型組織を夢見ることの方がおかしいと思うがどうだろうか。

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