「ついにやってくる『秘密』社会を考える 『言葉の危機的状況をめぐって』」を聴いて


連載第123回 『ねっとわーく京都』2015年2月号掲載

三上 侑貴(弁護士)

平成26年11月20日、ウイングス京都にて、永田和宏先生を講師にお招きし、市民ウォッチャー・京都と京都・市民・オンブズパースン委員会主催の記念講演「ついにやってくる『秘密』社会を考える 『言葉の危機的状況をめぐって』」を開催しました。永田先生は、現在京都産業大学で細胞生物学者として活躍しながら、歌人としても朝日歌壇選者をつとめるなど、多才で、特定秘密保護法問題についても積極的に発言されています。私は、同講演で司会をつとめました。

市民ウォッチャー・京都の諸冨弁護士より、特定秘密保護法の法律の概要とその問題点についての報告があり、その後、永田先生からの記念講演が始まりました。

永田先生からのお話では、まず、国民には知る権利があるのと同時に知る義務があるのではないか、特定秘密保護法により知る権利が侵されるということ以上に知る義務が侵されるということの方が怖いのではないかというお話がありました。

今まで、表現の自由の一つである知る権利について考えたことはありましたが、知る「義務」という観点で考えたことはありませんでしたから、お話しの初めからはっと考えさせられるものがありました。

次に、永田先生からは「民意」についてのお話しがありました。橋下さんや安倍さんは、民意を得ているのだから私のやることには正当性があるというような態度をとっており、「民意」といえば何でも通ってしまうような時代となっている。現在の日本国民が自民党を選んだことは事実であり、その意味では民意があるとはいえる。しかし、この民意は現在の民意。民意には、現在の民意と歴史的民意があり、現在の民意は歴史的民意に基づいたものなのであるから、かつて日本が守っていた政策を現在の民意が変えていいのかという問題がある、ということでした。

確かに、集団的自衛権行使容認の閣議決定や、権力を縛るための憲法という立憲主義を否定するなど、過去の政府が否定してきたり過去の人類が勝ち取ってきたものを、現在の権力者や民意が変えるということは、今までの歴史を無視するということです。私たちは、過去から学び、過去を尊重して現在をよりよいものにする必要がありますから、歴史的民意をもっと大切にする必要があると思いました。

さらに、永田先生からは、「見せ消ち」についてのお話しがありました。「見せ消ち」というのは、消しゴムで全部消すのではなく、二重線で消すような訂正の仕方であり、その訂正をすることにより消す前よりも強く訂正前の内容を訴えてくるものであるとのことでした。石破さんは以前、「デモはテロのようなもの」という話をしたことがありましたが、その後石破さんがそのことを否定したことにより、より強くみんなの心に「やはりデモはテロのようなものなのか」と印象付けられるという効果があったということを、例として挙げられていました。

免疫学でいうと、免疫寛容というのですが、花粉症などちょっとずつ花粉を感作させていくと、抵抗性をもつようになるというように、私たちが見せ消ちとして発せられた言葉に抵抗感をもたなくなるというのが怖いことであるとのことでした。確かに、私たちは日常の中で発せられる言葉を心の奥底で覚えていることがあります。政治家が、見せ消ちの効果を意識して発言をしているのかどうかはわかりませんが、権利・自由を否定するような発言を不用意に発すること自体を、厳しく注視していく必要があると感じました。

そのほか、永田先生は、庶民が歌を作って新聞に載せるという国は世界でも日本を除いてなく、日本は普通の人間が自由に自分が感じていることを発表できる国であるとして、日本では表現の自由が強く保障されていることを述べつつ、それでも、庶民は弱い存在で特定秘密保護法があることにより隣の人が怖くなり萎縮してしまうというニュアンスのお話をしてくださいました。

最後に、永田先生は、同じく歌人であった亡き奥様への思いを交えながら、言葉には届く言葉と届かない言葉があり、歌は「私はこう感じているがあなたにもこう感じてほしい」という読者に対するもので、心に届く言葉であると話され、「言葉」の大切さを強調されました。

私は、永田先生の講演を聴いて、永田先生が「言葉」を大切に扱っているということを感じ、「言葉」というのは私が思っていたより人を動かす重要なものであるということを実感しました。特定秘密保護法は、国民が情報を得ることを困難にし、国民が政府に対して怒ることができなくなるだけではなく、考えたり、疑問をもったり、言葉にして表現することを困難にする、とんでもない悪法です。大切な「言葉」を守っていくために、特定秘密保護法を廃止するため、これからも声を挙げ続けることを再決意することのできた、貴重な講演でした。