スタジアム建設にみる不透明な亀岡市行政を許さない


連載第125回 『ねっとわーく京都』2015年4月号掲載

酒井 あきこ(亀岡市会議員)

亀岡市は今、大きな分岐点に立っている。

京都府のスタジアムを誘致し、スタジアムを核としたまちづくりへの方向転換をしようとしている。その予定地は、これまで、河川の氾濫を受け止めてきた大切な場所であるが故に開発されないままに農地の姿を保ってきた。一昨年(2013年)の台風18号の折も、一帯が水没した。それを亀岡市が公園として整備する。厳しい財政状況の中で、用地買収、公園整備、維持管理等にかかる莫大な支出に大きな優先順位を与えることについて、納得のいく説明はない。スタジアムによって測り知れない経済効果があると言われているが、市民生活にどのような影響を及ぼすのか具体的な議論もされていない。

同じような経緯で行われてきた過去の公共事業がことごとく失敗しており、市の財政を圧迫しているのに、何の反省もなくそれを繰り返そうとしていることに強い危機感を覚える。声の大きな一部の有力者が推進を叫び、政治家達がその流れに乗る。多くの市民は無関心だが、これまで失敗しても誰も責任を取らず、全てのツケが市民生活に跳ね返ってきていることに気づいてほしい。

スタジアム建設予定地にはアユモドキをはじめ希少生物が命をつないでいる。世界的権威ある学会やWWFなどの環境保全団体も、この無計画な開発に懸念を表明しているが、住民が心配しなければならないことは自然環境だけに留まらない。

本来であれば、まちの命運を左右するような大事業について、それが本当に市民福祉の向上につながるのかどうか、具体的根拠に基づき詳細な議論がなされるべきであり、全ての検討内容を公開の上で市民合意を確認しなければならない。しかし、それを求めて市民が直接請求した住民投票条例の制定は、市長に反対意見をつけられ、議会で否決された。公園整備にかかる費用も確認しないままに、スタジアム関連の大きな予算が可決された。スタジアムについて検討しているという庁内会議の内容の開示を求めても全てが黒塗りで出てくるという状況である。

それでも市長や議員は選挙で選ばれているのだから、市長が提案し議会が認めたことは民意の反映だと言えるだろうか。議会は検討内容など知らなくても今後発生する費用を確認しなくても、追認だけをしていればいいのだろうか。

そのような中で起きたのが、今回、訴訟を提起した測量問題である。

市はスタジアム用地買収のために19.8haを業者に測量させ、1240万円余を支払ったが、すでにその2/3は前年度に市が測量を済ませており、今回納品された地図も前年度のコピーを貼付けたものだった。測ってみたら同じになったので地図を貼り合わせただけのことであり問題ないと市は説明する。測ってみなくても同じになるのは当然であるから、そのような言い訳は通用しない。

その他の業務については、契約書が存在しないまま、年度当初に結んだ随意契約の延長線上の業務であるとして行わせており、また、一部については指示した書類も、納品された成果も存在しなかった。それについては、書類上の不備ではあるが、仕事自体はしたと聞いているので問題ないという。通常の役所は支払いの根拠もなく税金を支出することはできないため、この言い訳も有り得ない。

議会の決算審査でこの件が大きな問題になったにも拘らず、本会議では可決されてしまった。その理由が、「スタジアムを推進しなければならない中で、重箱のスミをつつくような問題で決算を不認定にするのはおかしい」というものだった。

スタジアム関連事業であろうがなかろうが、指示した証拠もない仕事を、やりましたと業者に口頭で言われただけで金を払うことを認めては、今後も市民に多大な損害を及ぼしかねない。

ここで黙ってしまっては、市民には何が起きていたのかすら伝わらない。そこで、住民監査請求を行ったところ、一部については返還の勧告がされた。つまり、議会は監査で通らないものを看過したのだと明らかになった。

住民訴訟が提起できるのは監査結果が出てから30日以内だ。私が求めているのは単なる費用の返還ではない。市が自ら問題を明らかにして、今後どのように対応していくのか、是正する姿勢を積極的に市民に見せていくことを求めているのであると伝え、その間、市が動きを見せてくれればと願っていたが、何も起きなかったため訴訟を提起することとした。

亀岡はもはや、スタジアムの妥当性以前の問題で大きな分岐点に立っている。市民の税金を使ってまちの命運を左右する大事業をやろうという中で、市は、まともに情報も出さず、市民と向き合うこともなく、議会さえ通ればそれでいいという態度である。この局面で市民がどう反応できるのか、自治の根幹に関わる問題だ。怒るべきときに怒らなければ市民の権利は守れない。

おかしいと思っていても表立って意見を言いにくい風土の亀岡で、今回の訴訟が市民的議論を喚起する一助となることを願っている。