補助金「余剰金」問題


連載第62回 『ねっとわーく京都』2009年9月号掲載

岡根 竜介(弁護士)

2009(平成21)年6月下旬、京都市監査委員から、A4用紙で59頁からなる「住民監査請求に基づく監査の結果について(通知)」という書面が送付されてきた。住民監査請求の、いわば回答が届いたのである。住民監査請求は、地方自治法が定める制度の一つであり、地方公共団体の長(知事や市長など)や職員などの違法・不当な行為によって地方自治体に損害が発生した場合(発生するおそれのある場合も含む)、その地方公共団体の住民が、住民という資格に基づいて、地方公共団体の損害を回復したり防止したりするための措置を求めることができる制度である。

個人の損害ではなくても、地方公共団体の損害は、究極的には地方公共団体の構成員である住民全体の利益を害するものであることから、これを防止する手段を住民がもつことにより、住民の監視で財政腐敗を予防、是正できるようにする趣旨である。

住民が何か問題のある情報を得た場合、まず住民監査請求をおこない、それで解決することもあるが、請求が認められないことが多いので、納得できない場合には、住民訴訟を起こすという流れになる。「市民ウォッチャー・京都」では、この住民監査請求、住民訴訟を利用して、京都市などの財政が健全であるよう監視している。

上記の住民監査請求は、大雑把に言えば、京都市が、連盟(社団法人京都市保育園連盟)に対し、保育園の職員の通勤手当などに充てるための補助金を支出していたが、余った金額を市に返還せずに不正流用などしていたのではないかという疑問があるので、調査をし、不正があれば是正するように求めていたものである。

この件については、京都市長の要求により行っていた監査(地方自治法199条6項)と重なるものではあるが、住民訴訟をしなければならない場合を見越して、住民監査請求をおこなっていた。

監査の結果としては、連盟が京都市に返還しなければならない平成19年度に生じた余剰金4000万8120円がまだ返還されないままであり、その金額については、市長が連盟に対して返還を求めなければならず、その請求をおこなわなければ、違法に財産の管理を怠るものと評価せざるをえない、というものである。

そのような評価を経た結果、監査委員は、市長に対して、今年の9月30日までに連盟に対して4000万8120円の返還を求める措置を執るように勧告をする、というものであった。

監査委員が、平成19年度に生じた部分のみ監査請求を理由のあるものとした点は不十分であるとは思うが、少なくとも市長に返還の措置を執るように勧告した点は評価できる。

ところで、連盟に、何故このような多額の「余剰金」が生じることになったのであろうか。また、余剰金については、目的外ではあっても保育園への助成等に使われている部分もあるので、そんなに問題にしなくてもいいのではないか、という意見もあるかもしれない。

しかし、本来であれば、「余剰」など無いところに、意図的に「余剰」を作り出し、扶助費等でありながら市にも報告しない運用を長年に亘って続けていたこと、中には、理事の個人の口座に流れていった金額も相当額あることが推測されることなど「いいじゃないの」では済まされない公金の運用実態がある。保育園の運営には相当な経費が掛かる。できる限り利用する親御さんの負担を軽くしようと思えば、市が負担する金額を大幅に増やす必要がある。それにもかかわらず、少ない予算の中から「余剰」を生み出すということは、実は、本来保育園に支払われなければならないものが、その中間に位置する連盟にため込まれ、本来の使われ方をしていないことになる。これは、重大な問題である。しかもそのために、裏口座を作り、簿外処理としていたこともあり、全貌を明らかにすることもできない状態となっていた。

市としては、市の基準に基づき各保育園に対して支払うべき扶助費などの合計を連盟に支払う。それを受け取った連盟は、市の基準とは異なる基準で、各保育園に支払う額を決める。そこに差が設けられるために本来あってはならない「余剰金」が生じてしまった。そうして作り出された「余剰金」の一部が、理事の個人の財産に紛れ込んでいくこともある。この理事の行為は、外形的にみれば横領罪の構成要件に該当すると評価されてもおかしくない。

さて、この勧告を受けて、市長は、監査委員の勧告の範囲にとどまることなく、保育課なども深く関与していたこれら公金の不正運用を徹底的に明らかにし、再び起こることの無いように、財政の不正運用の監視を強める必要があろう。

しかし、このような事態を利用して、市の支出すべき保育園への費用を削るなどということがあってはならない。「余剰」とされた部分があるとしても、それは、本来であれば、例えば保育士さんへ支払われるべき給与の一部となるべきものであったり、施設の改善に利用されるべきものだったわけである。安心して子どもを預けられる保育園を実現するのに必要な経費が、連盟によってゆがめられていたのであるから、歪みは正さなくてはならないが、本来の目的を忘れてはならない。