京都会館解体問題を考える


連載第106回 『ねっとわーく京都』2013年7月号掲載

三上 侑貴(弁護士)

1.京都会館解体と不当判決

京都会館第一ホールが解体されてしまう……解体を止めるため、私も所属する弁護団は、平成24年8月13日、京都地裁に対し、112名の市民を原告として、京都会館第一ホールを解体しないよう求める住民訴訟を提起しました。

そして、弁護団は、地元住民、一般市民有志、建築関係者有志のみなさまの熱い思いや運動に後押しされ、平成25年3月21日の判決日を迎えました。

しかし、上記訴訟が提起され裁判が進んでいるにもかかわらず京都市は解体工事を強行し、結果的に判決日までに、京都会館第一ホールは解体されてしまいました。

判決日―平成25年3月21日、裁判所は、「京都会館の解体は市長の裁量を逸脱したとはいえない」として原告の請求を棄却しました。

裁判所は、建て直した後の建物では世界水準のオペラは上演できず、現在の京都会館第一ホールを補修することで耐震性も問題も対応可能であると認めました。しかし、改修ではなく建替を選択したことが不合理とはいえず、市長の裁量を逸脱・濫用したとはいえないとしました。

また、裁判所は、京都会館が歴史的・文化的に高い評価を受けていることを認めました。しかし、裁判所は、市が実質的な配慮を何らしていないという現状から目を背け、市は「文化財的価値に一定の配慮をしている」と判断しました。さらに、裁判所は、景観・調和などは個々人の感性や価値観に左右される幅の広いものであり、これにより違法かどうかを判断することはできないとして、景観・調和という住民にとって重要な権利を軽視したのです。

以上のとおり、判決には問題点が散在しており、行政追随の不当判決と言わざるを得ません。

2.代表的建築・文化遺産の破壊

京都会館は、前川國男の代表作である戦後の代表的建築・文化遺産であり、非常な重要な建物でした。

実際に、イコモスの20世紀遺産に関する国際学術委員会は、今回の京都会館解体問題に際して、門川市長宛てに、20世紀の日本におけるもっとも重要な建築家の一人である前川國男の代表作品の一つとして京都会館の文化財としての重要性を位置づけたうえで、再整備計画に基づく建替は、文化財としての価値に対して「取り返しのつかない害を及ぼし、美と調和を破棄する」として日本で初めて危機遺産警告を発令する可能性を示唆し予告していました。京都会館をめぐる動向は、世界からも注視されていたのでした。また、国内では、日本イコモス委員会も見解書を出していました。

それにもかかわらず、京都市は、京都会館第一ホールの解体を強行し、解体を終えてしまいました。

今回の京都会館解体行為は、代表的建築・文化遺産を破壊するという意味で、世界的にも非常に恥ずべき行為です。世界的にも文化的な都市であるはずの京都市で、このような行為は決して許されてならないのです。

3.ないがしろにされた民主主義と地方自治

今回の京都会館解体は、下記の点で、民主主義・地方自治をないがしろにする、非常に問題のある行為だと言わざるを得ません。

京都会館再整備計画は、2002年から始まり建物の保全継承を基本とする方針で継続していましたが、密室で建替案に変わり、2010年12月の新聞報道により初めて市民に知らされ、報道後も計画は公表されず、パブコメに臨んだ時点でも建替計画は伏せられていました。市は、同年5月に基本計画2案を発表するものの同年6月には建替計画案に決定し、パブコメでも市の計画に合う意見だけを取り入れ、住民との双方向の意見交換も行っていません。すなわち、計画決定過程が不透明で住民意見が不公平に処理されているのです。

また、市は、住環境や景観について周辺地域住民の意見を反映する機会を設けないまま、市自ら決めた新景観政策のルールを破棄して、お手盛りで高さ規制を緩和した地区計画を指定し、市民の公平感・信頼性を強く害しました。

地方自治は憲法第8章で定められており、地方の運営はその地方の住民の意思によって行われなければなりません。

それにもかかわらず、京都会館の解体・建替は、住民不在のまま計画が進められました。確かに、地方公共団体には裁量がありますが、それは、地方自治の範囲内での裁量にすぎません。

今回、京都市という歴史的・文化的な「まち」において、市長が地方自治をないがしろにし、それを裁判所が追認したことは非常に遺憾です。このようなことを野放しにすれば、地方自治だけでなく、地方自治の重要な側面である民主主義自体が軽視されていくことは明らかです。

今回、京都会館解体問題を通じ、地方自治・民主主義の大切さを痛感しました。

岡崎を守り、そして地方自治・民主主義を守るため、今後も声を挙げ続けていくことを再決意しています。