『言葉の魔術師』が憂う言葉の危機的状況


連載第124回 『ねっとわーく京都』2015年3月号掲載

井上 吉郎(〈福祉広場〉編集長)

2015年1月14日、皇居の「松の間」で、新年恒例の「歌会始の儀」(今年の題は「本」)が開かれました。選者の一人である永田和宏さんは〈本棚の一段分にをさまりし一生(ひとよ)の量(かさ)をかなしみにけり〉と詠んでいます。ちなみに、応募は2万861首。永田さんの『現代秀歌』で「皇后美智子」として紹介されている美智子皇后は、歌会始に〈来(こ)し方(かた)に本とふ文(ふみ)の林ありてその下陰に幾度(いくど)いこひし〉の歌を寄せています。

2014年11月20日夜、ウイングス京都で、講演会〈ついにやって来る「秘密」社会を考える〉が開かました。メインスピーカーの歌人で細胞生物学者の永田和宏さんが「言葉の危機的状況をめぐって」と題して話し、弁護士の諸富健さんが「特定秘密保護法の危険性」と題する報告をおこないました(永田さんの話の内容は、本誌2月号〈「ウオッチャーレポート」記念講演「ついにやってくる『秘密』社会を考える『言葉の危機的状況をめぐって』」を聴いて〉参照。司会者であった三上侑貴さんの優れた報告がある)。

翌日に衆議院が解散されるという緊迫した状況下、100人余の参会者、永田さんは、秘密法、集団的自衛権をめぐる自らの発言を振りかえり、「知る権利」とともに「知る義務」の大切さを力説、「民意」に今のそれと、歴史となった「民意」があることを強調しました(2014年3月28日の『しんぶん赤旗』に登場して、「民意」について述べ、「歴史的な民意」としての憲法をあげています)。また、「朝日歌壇」にも秘密保護法や集団的自衛権行使容認を憂える短歌が多く寄せられたことを指摘、ストレートな表現でなく、作者と読み手の協同作業の大切さも述べました(後述)。

特定秘密保護法案をめぐる動きが緊迫感を増すなか、2013年11月24日、京都弁護士会館で150人が参加する反対集会が開かれました。京都弁護士会の会長が挨拶、『毎日新聞』の記者が講演、京都新聞労組、KBS京都労組の代表が発言しました。集会のあと、繁華街・河原町三条で「特定秘密法に反対しましょう!」「力を合わせて廃案に!」の街頭宣伝をおこないました。弁護士会がつくったリーフを配って、拡声器で訴え、紅葉狩りの観光客も含めた行き交う人が、リーフを積極的に受け取ってくれました。「オンブズ組織」の、特定秘密保護法に危険を鳴らす活動です。

永田さんには多くの著作ありますが、最近のものに『近代秀歌』と『現代秀歌』(両著とも岩波新書)があります。『近代秀歌』は、歌人の社会的位置を明らかにし、歌の味わいを書いた書、「言葉遣いの魔術師」とも言うべき永田さんの魅力あふれる本になっています。

『現代秀歌』には、皇后美智子の〈てのひらに君のせましし桑の実のその一粒に重みのありて〉(59年、この年はご成婚の年)が載っています。

永田さんは、「近代歌人の名前を10人あげてみようと言えば、たちどころに、晶子、鉄幹、白秋、啄木、牧水、茂吉、赤彦、信綱、空穂などと名があがるだろう。名字ではなく、名前で呼びたい歌人ばかりである。しかし、現代短歌を担っている歌人の名を十人と言えば、歌を作っている人以外は、まず無理なのではないか。現代短歌にも近代のそれに少しも引けを取らない名歌・秀歌がいくつもあるのに。歌はそれぞれの人生の時間とリンクし、一首の歌にはさまざまの人生が凝縮されている。それらは、私たちの生活のさまざまの場で、いろんな表情をもって立ち現われるだろう。それは私たちの日常のちょっとした瞬間を間違いなく豊かにしてくれるはずであり、生きるヒントをも与えるはずである。そんな歌を多くの人々と共有し、共感したい。『現代秀歌』は前著『近代秀歌』の姉妹編でもあるが、ここにあげた100人100首の歌を、100年後の人々にも残したい、…」と『現代秀歌』について語っています。

永田さんは講演で「朝日歌壇」の短歌のいくつかを紹介しました。

円周率を三でいいとするやうなわけにゆくまい憲法解釈〉(櫻田稔)
〈評〉解釈だけでどのようにも運用できるものはもはや憲法ではなく、それは立憲という概念の否定、法治国家の崩壊である。円周率3という問題とはレベルが違う。同感。

わからへんなんぼ聞いてもわからへん平和のためにいくさに行くと〉(石川智子)」
〈評〉…「わからへん」のは決してあなただけではない。詭弁に近い論理のすり替えを正しく衝けるのは、市民目線からの率直な言葉だけである。〈人間は愚者なりと思うその故に憲法という歯止めを尊ぶ〉(小倉太郎)〈評〉小倉氏、民衆も政治家もそれぞれが不完全なもの。その歯止めとして憲法はあり、時代の空気だけでかえるものではない、と。

体験せずという体験も誇らしい体験である「戦争体験」〉(樋口幸子)
〈評〉樋口さん、体験しなかったことを誇りに思う。そんな誇りがいま危機に、という切実な思い。