弥陀次郎川水害訴訟から見た京都府の「大安心」


連載第129回 『ねっとわーく京都』2015年9月号掲載

井関 佳法(弁護士)

宇治市の北東部を流れる弥陀次郎川(みだじろがわ)は、2012年8月14日午前4時頃に決壊し、8戸が全壊、300戸以上が床上床下浸水しました。決壊箇所は天井川であり、住宅街の中の高さ3mの台形の堤体の上に河道が載った構造です。日頃の水量はごくわずかですが、位置エネルギーと土砂を伴う大量の濁流が住宅街を襲い、甚大な被害の爪痕を残しており、犠牲者が出なかったことが幸いだったと言われています。その被害者らが提起した国賠訴訟が、京都地裁でたたかわれています。

京都府は、責任を争っています。しかし、弥陀次郎川の河道は、石積の石と石との間にはすき間が広がり、中が空洞になり、石が抜け落ちているところもありました。川底コンクリートや石積みの上に設置されていた嵩上げコンクリートには割れ目ができ、ズレが生じていました。さらに、そうしたすき間や割れ目から、草木が茂る状態となっていました。豪雨で水かさが増え、水が堤体に漏れ出し、決壊に至ったものです。

京都府は、雨量と水位が想定外で、「計画水位」を超えていたから責任はないと主張しています。しかし、決壊箇所の流量は毎秒13.5トンでしたが、「計画流量」は毎秒17.7トンもあり、これを大きく下回っていたのです。上流にある「上出橋」が「水門」となって水量を「調整」していたためでした。上出橋の梁が護岸の天端より50センチ程下にかかる構造であったため、そこを通る水だけが下流に流れる構造となっていたのです。地面より川底の高い天井川には、流れ込む支流も溝もなく、「調整」済みの水量だけが決壊箇所に流れてきていました。

京都府は、決壊箇所で満水だったと主張しています。しかし、満水の事実自体がない上、決壊箇所の水位は、河道内には草木が茂って水の流れが悪くなっていたために上昇したものなのです。河道内を草木の茂る状態に放置することは河川管理上許されないことです。自らの管理義務懈怠を棚に上げて、自ら招いた水位上昇を、自らの責任を免れるために持ち出すことは、許されることではありません。

河道を巡視・点検して、石積の石と石とのすき間、コンクリートの割れ目を間詰し、河道の草木を除去する。こうした容易にできたはずの日常的管理さえ実施していれば今回の水害は防げたのでした。

大東水害訴訟の最高裁判決があります。道路などと違って河川は元々危険なものであり、限られた財政の中で一気に必用な安全レベルを実現するのは難しい、安全なレベルを目指して「改修中」の河川で改修が間に合わずに水害が起きても、国や自治体の責任は問えないとしており、水害訴訟を困難にしました。

しかし、弥陀次郎川水害は、現にある河道の安全性を維持できていれば防げたものであるのに、当たり前の日常管理が行なわれず、安全性が維持されなかったが為に引き起こされたものです。従って、大東水害訴訟判決は勝訴の障害にはならないはずだと考えています。

京都府は、平成17年に行なわれた前回の補修工事以降7年間、すき間の間詰など補修工事を一切行なっていなかったことを認めています。

訴訟の中で開示された巡視記録によれば、巡視・点検も怠っていたようです。平成17年以降の巡視・点検記録で残っているものは1つだけだったと言っています。しかも上流と下流の写真は付いていますが、決壊箇所付近の写真は付いていません。決壊箇所付近の巡視・点検さえ疑わしいのです。

大東水害訴訟判決に安住して、河川行政に緊張感を欠いていたのでしょうか?

京都府は、2004年に宇治土木事務所を廃止して、京田辺の山城北土木事務所に統合しました。河川管理を担う体制が手薄になっていたのではないでしょうか?
「大安心」を掲げる京都府の河川管理の実態を明らかにして責任を追及し、水害で二度と辛い思い、悲しい思いを繰り返す人が出ないように。これが原告団の願いなのです。

次回法廷は2015年8月11日(火)午前10時30分〜、京都地裁101号の大法廷です。傍聴、ご支援をお願いいたします。