敗訴判決に控訴しなかった大阪府──地方分権改革の一面を考える


連載第66回 『ねっとわーく京都』2010年1月号掲載

田村 和之(龍谷大学法科大学院教授)

筆者は、長い間、在外被爆者(国外に居住する原爆被爆者)に被爆者援護法の適用を求める裁判(在外被爆者裁判)の支援活動に取り組んでいる。幸いにも勝訴の山を積み上げることができ、現在部分的ではあるが、被爆者援護法は在外被爆者にも適用されるようになっている。しかし、なお課題が残っている。

その一つに、在外被爆者の居住地からの被爆者手帳申請がある。日本政府はこれを認めていなかったため、2006年以来、広島、長崎、大阪の各地裁で被爆者手帳交付申請却下処分の取消訴訟が争われていた(08年の被爆者援護法改正により、現在では国外からの手帳申請が認められている)。08年には、広島と長崎の地裁で原告の在外被爆者を勝訴させる判決が出されたが、被告の広島県と長崎県は、厚生労働省の指示に従い、当然のように控訴した。

広島県知事は、その理由を次のように語った。「国の法定受託事務は、県で勝手に判断して何か行うことはできない。国の判断を待って行動せざるを得ない」(記者会見記録の要約)。また、長崎県知事も「既に広島県は控訴しており、統一的に扱ってもらわないと法定受託事務という制度は成り立たなくなるという厚労省の意向には従わざるを得ない」と述べた。

大阪府が被告となった裁判でも、本年(2009年)6月、大阪地裁は原告勝訴の判決を出した。ところが、おおかたの予想に反して、大阪府は控訴せず、判決に従った。橋下府知事は、「厚労省から控訴してほしい旨をいわれたが、そもそも被爆者援護法の規定またはその運用は違法であると考えているので、自分の判断で控訴しないと決定した」と説明した。

被爆者援護法に基づく事務の大半は法定受託事務である。この事務は、2000年の地方自治法改正により、旧機関委任事務を再構成して新設されたものである。法定受託事務は地方自治体の事務であるから(地方自治法二条八項)、その処理は自治体の判断に委ねられている。

だが、現在、この事務は廃止された機関委任事務とほとんど変わらずに処理されているようである。旧機関委任事務の処理にあたっては、地方自治体は「主務大臣」の指揮監督に服することになっていたため、中央省庁から発出される膨大な通達にがんじがらめになっていた。自治体で処理する事務でありながら、自らの考えにより処理できず、中央省庁のいうがままであった。このような旧制度のあり方が、法定受託事務に「受け継がれて」いる。

このような状況においての橋下知事の控訴断念は、法定受託事務制度の本来のあり方からみれば至って当然のことであるが、話題性のある出来事であった。橋下知事という特異なキャラクターによりなされたことであるが、当り前のことが行われたとみるべきである。

ところで、法定受託事務の処理にあたり、中央省庁の「指示」に自治体が逆らえない事情の一つとして、この事務の処理に要する経費について、国庫負担金が支払われていることをあげることができる。国庫負担金が交付されると、地方自治体は補助金等適正化法により、その使用方法を厳しく規制され、自治体がこれに反して国庫負担金を使用すると、是正命令が出されたり、交付決定が取り消されたりする。この結果、地方自治体は法定受託事務の処理における自主性を喪失させられてしまう。国庫負担金(補助金)制度の抜本的な改革を伴わない地方分権改革が、画餅に帰するゆえんである。

大阪府の控訴断念は、厚労省に対するささやかな抵抗であり、法定受託事務の処理について、中央省庁の意向・指示に「従わない」ことができることを示した意義は大きい。

しかし、この出来事に若干の懸念がないわけでない。橋下知事は、地方分権を錦の御旗にして「筋」を通したわけだが、同知事の分権論には疑問がある。わが国では、長い間にわたり極度の中央集権が行われてきたので、地方分権を進めることに大きな意味があるが、分権であればなんでも良いということにはならない。国民の最低限の権利の保障を目的として、中央政府が一定の基準(ナショナル・ミニマム)を設け、これを地方が尊重するという仕組みは、憲法の要求するところだからである。橋下知事などの「勇猛な」分権改革論者は、このような憲法の考え方を無視している。これでは、地方自治・地方分権のもとで、人権侵害が生じることあり得る。

地方分権改革が声高に叫ばれ、分権はすべて良しとする風潮がなくもないが、慎重な考慮が必要である。