宮津市丹後リゾート関連の公社による土地取得事件の報告


連載第69回 『ねっとわーく京都』2010年3月号掲載

奥村 一彦(弁護士)

標記の事件の二度目の最高裁判決で、裁判所は住民側の訴えを棄却しました。

しかし、その判決はまことに奇妙なもので、住民を納得させる十分な論理を持っていないと断言しても過言ではないと思います。

棄却の理由は「市が本社公社に事実上の働きかけを真しに行えば(違法な委託契約を前提にそれを取消すこと-筆者注)を、本件公社において本件委託契約の解消に応ずる蓋然性が大きかったというような事情が認められない限り、客観的に見て市が本件委託契約を解消することができる特殊な事情があったということはできないものと解される」というものです。

ここの部分について理解を読者にしてもらうために、事件について概略を述べますと、宮津市の市長が特定の人物から丹後リゾート公園外の土地を違法に高額な値段で買ったというものです。その買い方が、土地開発公社に先行取得させて、それを購入するという形を取ったため、前の最高裁判決は、市長と土地開発公社の理事長との間で結ばれ土地先行取得の委託契約が「特殊事情」で取り消しうる場合があるので、それを再度審理せよと大阪高等裁判所に差し戻していました。大阪高等裁判所は、「特殊事情あり」として住民側を勝訴させていたものです。それを前提に、この特殊事情について再度最高裁で判断があったという流れです。

話を元に戻すと、市長が土地開発公社の理事長に働きかけて、理事長が取り消しに応ずる蓋然性が大きいかどうかは、まず、働きかけてみないとわからない不確定なものだし、それにしても働きかけるかどうかにかかっているという主観的な動機を問題にすること自体、最高裁の判決としては異例あるいは異常とも思える表現です。その直前までの文章では、大阪高裁が事実関係として違法な売買契約であるという認定そのものは何も問題としていません。

ここで、疑問になるのは、実は、市長と土地開発公社理事長は、同じ人物であるということです。同じ人物であれば、取り消そうと思っただけで、あるいは直ちに行動をおこせば、それは市長として委託契約を取り消す意思であると同時に、公社の理事長として取り消しに応諾する意思ですので、蓋然性(可能性のこと)を問題にする以前に、その場で直ちに解決する問題ではないだろうかということです。だから、原審の大阪高等裁判所は、同一人人物であることをもって、取り消しうる客観的事情と認定したわけです。

最高判決は、さすがにその点が疚しいとおもったのか、先の文章に続けて「確かに、本件委託契約は上告人(元宮津市長徳田氏個人のこと)が市及び本件公社の双方を代表して締結したものであり、上告人は本件売買契約締結当時も市長と本件公社の理事長とを兼務していた。しかしながら、本件公社は公拡法に基づき設立された公共性の高い法人であるところ、仮に本件委託契約を解消して本件公社が本件土地取引を引き受けることとした場合には、本件公社がその取得金額と時価との差額を損害として被ることとなるのであるから、上告人が本件公社の理事長として本件委託契約解消の申し入れに応ずることは、本件公社との関係では職務上の義務違反が問われかねない行為である」と述べます。

これにはほとほと呆れました。委託契約が違法であると思って、それを取り消すというのはなるほど勇気がいるでしょう。職務上の義務違反が問われかねないのはもちろんです。しかし、違法な行政、この場合大阪高等裁判所が認定した不要で値段も時価と比較して異常に高額な土地を購入する契約を結んだことのほうがもっと大きな問題ではないでしょうか。ここまで来るともう信じられない気持ちです。あえて言えば、不正をした人物自身がそれを正そうとすることにブレーキをかけているようなものです。職務義務違反に問われようと、正しいことを正しいと言うことを言っちゃいけないというのは、これでは世の中は良くならないのではないでしょうか。また、私たちが7年間追及してきた問題が、このような非常に狭い論点において、しかも、国民が納得できない「論理」で住民訴訟の途を閉ざされたのは、残念でなりません。

しかし、この判決を大いに批判して、次のさらなる住民運動を発展させる栄養とすることも可能と思います。裁判所の論理の貧困さとおかしさをよく知ってもらい、大きく言えば司法制度そのものについての理解を深める非常にいい材料となると思っております。

長い間の地元の皆様のご支援に感謝いたします。