秘密保護法廃止へ全力を傾注


連載第113回 『ねっとわーく京都』2014年3月号掲載

井上 吉郎(〈福祉広場〉編集長)

2013年10月25日に臨時国会に提出された特定秘密保護法は、12月6日に成立し12月13日に公布された。同法は公布後1年以内に施行されることになっている。同法は国家安全保障会議(日本版NSC。僕はこれを現代版大本営と呼んでいる)の設置法案とセットで同じ委員会で審議された。

法案が国会に提出される前の10月3日、日本で「日米安全保障協議委員会」(いわゆる「2+2閣僚会議」)が開かれ、〈より力強い同盟とより大きな責任の共有に向けて〉と題する文書が採択されている(岸田外務大臣、小野寺防衛大臣、ケリー国務長官、ヘーゲル国防長官が出席)。

そこには、〈情報保全の強化により、二国間の信頼関係は引き続き強化され、両国間の情報共有が質量双方の面でより幅広いものとなり続ける。閣僚は、情報保全が同盟関係における協力において死活的に重要な役割を果たすことを確認し、情報保全に関する日米協議を通じて達成された秘密情報の保護に関する政策、慣行及び手続の強化に関する相当な進展を想起した。…最終的な目的は、両政府が、活発で保全された情報交換を通じて、様々な機会及び危機の双方に対応するために、リアルタイムでやり取りを行うことを可能とすることにある〉と明記されていた。秘密保護法案が「日米軍事一体化」にとって根幹をなしていることがよく分かる。

「市民ウォッチャー・京都」の法案反対運動は2013年9月7日、龍谷大学で開かれた第20回全国市民オンブズマン京都大会で「秘密保全法制の制定を阻止しよう」という決議が採択されたことから始まった。

決議は「市民オンブズマン活動の基盤は情報公開請求である。…『特定秘密』の対象情報を限定するなどの説明をしているが、これまでの情報公開訴訟において、政府の情報開示に対する解釈が的確でないことは、原告となった市民の勝訴率の高さが何よりも物語っている。秘密保全法制が政府にとって都合の悪い情報をより強固に秘密化する」と述べている。

また、これにあわせて『厚顔・隠蔽・迷走──市民オンブズマンによる京都案内』が出たが、この本は情報公開の大切さを、具体的な事件に合わせたものだった。

10月27日の『京都新聞』の“読者の声”欄に、「恐ろしい秘密保護法案」と題する筆者の投稿が載った。法案の基本的問題に触れている。

特定秘密保護法案が、「国家安全保障に関する特別委員会」で、国家安全保障会議(私は現代版「大本営」と思っている)設置法案といっしょに審議、成立させられようとしている。

「特定秘密」の対象を、「防衛」「外交」「テロ活動防止」などの4分野とし、米国から受けた情報を秘密に指定するとしている。米国からの情報は、「特定秘密」とされ、国民の前から隠される。つまり、「特定秘密」は限りなく広がる。「行政機関の長」が「秘密」と言えばそれが「秘密」になるのであって、何が「秘密」であるのかも分からない。

法案は、最高で懲役10年を科するとしている。「秘密」をもらした公務員はもちろん、「秘密漏えい」を「教唆」した人、「秘密」を抱えている人への取材なども刑の対象になる。

私たちは、例えば報道を通じて情報を得ることができる。しかしながら、「秘密」指定の分厚い壁に守られた情報は取材(報道)を萎縮させ、国民の知る権利が奪われる。
京都の丹後半島で大問題になっている、米軍のレーダー基地も、「特定秘密」で守られることになる。遠くの話ではない。

11月24日には、京都弁護士会館で「特定秘密保護法案反対集会」を、「市民ウォッチャー・京都」「京都・市民・オンブズパースン委員会」「全国市民オンブズマン連絡会議」の共催で開いている。130人が参加した集会では、毎日新聞記者の臺宏士さんが「誰のための『秘密』なのか」と題して話し、京都弁護士会会長の藤井正大会長があいさつ、京都新聞労組やKBS京都労組の代表が発言している。集会のあと三条河原町で宣伝行動、30人が参加した。

法案の採決強行を前にして多くの人が運動に参加した。例えばある弁護士は、「私も、京都弁護士会の四条河原町ビラ配りに、二十年ぶりに参加した」と事務所だよりで述べている。

1952年3月27日、吉田内閣は、「破壊活動防止法案」を国会に提出した。法案は5月15日に衆議院を通過、7月4日参議院で可決され、7月21日に公布された。国民の猛烈な反対に直面しての蛮行だった。「破防法」は〈破壊主義的活動〉〈教唆・扇動(あるいは)そうした行為の正当性・必要性を主張した文書の印刷・頒布・公然掲示・所持〉を刑罰で規制するとしたものだった。

何を暴力主義的破壊活動とみなすのかは政府の一方的な判断だった。「供米供出拒否の決議は『扇動』にあたる」「政府に『減税せよ』と迫った場合『政治上の支持または反対するため』の項にあたる」(政府答弁)といった具合で、政府の施策に異を唱えることも〈破壊活動〉にしてしまう「弾圧立法」だった。秘密保護法を彷彿とさせる論理であり反対運動だった。

1月24日(2015年)からの通常国会に秘密保護法廃止法案が提出され、議論が進む。秘密法案で発揮された反対エネルギーに火が付いている。